楽譜は宝の地図

ピアノ導入期の「ト音記号」数小節だけ書いてある頃から、楽譜をよ〜く見て、探して、見つけて、考えて……楽譜に潜んでいる楽しいことをたくさん発見してもらいたいです。

受験期などで生徒さんをお預かりする度に、音価やリズム・調性・楽語などしっかり勉強なさっていても、皆さんの楽譜に対する認識は、あくまで「記号」と捉えている方が多いように感じます。アナリーゼとしての知識は知っている。が、じゃあそれをあなたなりの音楽にしてみて…と言うと、音にすることはできない。それとこれが繋がらない。道具をどんな風に使うとそれを再現できるか、更に、そこに心をつなげる時自分の体はどうなっているべきか…。知識だけでは音は変わらない。感情だけでも音は変わらない。楽譜と道具と心。この3つはいつも一心同体なのです。

拍感の表情はどうなってるのか。スラーの括り方によってそれが”テクニックの提案”なのか”表情を意味する”のか…。どちらのスラーも書かれていなければ自分で考える。答えは幾通りもある。幾つもの答えの中から、その場面にはどのアイデアが相応しいのか……などなど、考えなければならない事は沢山あるのです。このような、表向きには何も書かれていない”楽譜の中のテクニックの読み取り方”を、ほとんど知らずに受験期に突入してしまうという方達がいかに多いか。これはある種、「ピアノ🟰演奏が全て」という、日本独特のレッスン方式が背景にあるように思います。コンクールが盛んな昨今、楽譜を紐解くことなどまだ難しい幼少期から多くのコンクールに出て、先生が読み取った音楽の完成系を、生徒にソックリそのまま教え込んで、生徒はとにかくそれを再現する日々…。どうしてそれをやらなければいけないのかは知らない。強弱と、手や指、肘など目に見える部分はギリギリ教えてもらえるけれど、目に見えない体の中のことと楽譜の文法がどんな風に繋がっているかなんて考えたこともない。このようなレッスンは、ヨーロッパではあまりみられないように思います。ヨーロッパでは、楽譜(特に拍感)と言語がリンクしている為に、体の事も日本のように不自然な事にはなっていかない。また、どんなに小さな子でも再三自分の意見を言わないといけない、自分なりの考えを持たなくてはならないのです。レッスンの中では楽譜の中のことも沢山質問されますし、わからなければ先生と一緒に考える。なぜならそれこそが「音楽をする」という行為だからです。

小さな方達のコンクール舞台でなされている音楽は、”解かなければならない数学の長い計算式を、先生が全部解いてあげてしまって、あとはそれを生徒達にソックリ丸暗記させて披露させている”ように思えてなりません。いやいや、それを紐解くことがピアノ。その紐解き方そのものを学ぶことが芸術。生徒達はそれこそを出来るようにならないといけないし、何よりそこに面白さがあるのに…。先生は、その”とっても楽しい時間”を奪ってしまって、丸暗記させて猛特訓する……。これって楽しいのかなぁ……(´・_・`)。答えを丸暗記するだけの日々って、いつか苦しくなっていかないのかなぁ〜。

近い将来、ちゃんと自分で楽譜を読んで、自分なりの意見をピアノを使って言えるようにする為に、レプリカを作るのではなく、うんとハードルの低いところから、問題提起して→考えて→探して→発見して→また考えて→実行に移す!子供達は、探すことが楽しいし、いざ発見したらとても嬉しい。そして、自分で発見したのだから上手く弾きたいとも思う。全てが能動的サイクルで回り始めると、心は伸び伸びワクワク、踊りたくなっちゃうくらい楽しいはずです!!いつの時も、心のメーターがどのくらい動いたか自分自身でちゃんと確かめてもらって、相乗効果でどんどんメーターをあげていけたらいいですね♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

楽譜は宝の地図。楽譜の中にこそワクワク楽しさが詰まっていることを、日々のレッスンの中で毎回毎回実感してもらいたいです♪

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