演奏会

先週の金曜日、長女のソロコンサートを無事に終演する事ができました。このような時期に本当に沢山のお客様にご来場賜り、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

また、秋以降、卒業生や現生徒さん方からも色々な演奏会のお知らせを頂きました。残念ながら伺う事が出来なかったコンサートもありますが、色々なホールにお邪魔する度、つくづく、ホールのピアノは生き物で、ピアノとは本当に難しい楽器だ…と思います。と同時に、それだけに本番ホールの秘めたるエネルギーは偉大で、自宅では味わうことの出来ない多彩な響きに心が躍り、胸が高鳴り、心から”ピアノの音色が好きだぁ〜♪”と実感します。

皆さんの主な演奏会は、音楽学生さんの学内演奏会(大半の音楽系大学は学部3年生になると演奏会をしなくてはなりません)、◯大モーニングコンサート(選抜された優秀学生が◯大フィルハーモニア管弦楽団と協奏曲を演奏します)、各コンクールの褒賞コンサート、進学先の先生主催の演奏会 などなど、皆さん真摯に作品に向き合う姿は本当に素晴らしいです。

コンサート出演は、何も専門を志す方だけでなく、皆さんに訪れるチャンスです。本番があってもなくても練習するのは同じとも思えますが、やはり”誰かに聴いてもらいたい”と思って準備するものは、自分自身がより高いクオリティーを求めますから、それによってあらゆる事に大きな差が出てくるのも事実です。そして、向き合ったら向き合った分だけ、自分の人生に深く刻まれる何かしらの体験をする事となるでしょう。

奥深く掘り下げた曲は、当日の出来うんぬんを超越して、お客さまに必ず何かしらのメッセージが伝わるものです。逆に、あんなに練習したのに、何のメッセージも伝わらなかったとしたら、それはまだまだ音に対する愛着が足りないのだと思います。勿論、素晴らしく上手く達者に弾くことも大切ですから、その為の基本となる日々の訓練は不可欠です。基礎がなければ伝えられる道具もありませんから、そこは絶対に譲れません。が、そこに翻弄されるだけで終わっていませんか?そここそ評価すべき…と思っていませんか?そこで止まっているうちは、聴く人だけでなく、何より弾いてる本人がいつか苦しくなってしまいます。なぜ舞台に上がるのか…親のためでも先生のためでもなく、指自慢をするためでもなく、作品から見い出した自分自身の音楽そのものを実現するために舞台に上がるのですから、何か少しでも心に錘があるのなら、なんとかそれを軽くする方法を見つけてくれると嬉しいです。

最後に、ある先生から送っていただいた言葉です。その先生も、師であらせられる偉大なピアニスト先生から贈られた言葉だそうです。

「人の演奏を聴いて評価するとしたら、演奏者本人の音楽に対する愛情度をまずは評価しなさい」

挑んでも挑んでも、思うようにいかない本番が続いている方もいらっしゃると思います。が、やはりまずは、どの順番でピアノに向かっているか…。愛情があってこその努力だと思います。音楽人生、多くの方々に出逢い、多くの先生方にアドバイスを頂きながら歩んでいかれる事と思いますが、

ピアノはこうあるべき!

本番はこうあるべき!

ピアニストはこうあるべき!

どうか、これらの言葉にがんじがらめにならないよう、いつもニュートラルな気持ちで、自分の中の色鮮やかな音楽がくすんでいく事だけはないよう、皆、豊かに進んでいってくれると嬉しいです。

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