コンクールにエントリーすること・そしてコンクール審査とは

日頃ブログでは、生徒さん達がどんなコンクールに取り組んで、どんな結果をいただいたか…また、当日の演奏の内容はどうだったか等、具体的に記事にする事は出来るだけ控えているのですが(時に、ご褒美のコンサートや、音楽家を目指す生徒さん達の頑張り等はお知らせさせて頂いております)、今回は、どうしても書き記しておきたいことがあり、少し細かな事まで書かせて頂こうと思います。

先日、普通科高校生の応援に駆けつけたとあるコンクールでのこと。大御所先生が審査員席で、タブレットの楽譜をかな〜り細かくご覧になりながら審査にあたっておいででした。これ、本当にドキドキしますよね(^^;)特に、素晴らしいお弟子さんを大勢育て上げていらっしゃる経験豊かな先生ですし、ロビーでも指導者の方々口々にビビっておいででしたσ(^_^;)。しかしこの日の私はむしろ逆で「有り難い!☆H先生!アドバイスどうぞよろしくお願いします!」と思ったのです。

と言うのも…。生徒さんが弾いた曲はリストの「メフィストワルツ(村の居酒屋の踊り)」。夏あたりからこの曲を勉強しているのですが、楽譜の中のことについて一人でも多くの先生方のご意見を伺いたい!と思っているからです。有名曲ほど、指導者も生徒さんもどうしても耳馴染みある演奏に傾いていってしまい、人によっては、仕上がってみると「それは一体誰が作り上げた音楽なの?」となりかねません。日頃から中学生以上の生徒さんには、出来るだけ生徒さん本人が読み取ったことを音にしていただきたいと思っていて(幼稚園の頃はとにかくピアノに慣れる^^;、小学生では楽譜をどう読み取るか学ぶ時期、中学生からはやっと自分なりの解釈が生まれる時期)万一生徒さんが作り上げてきた音楽の方向が???お〜っとっとっと^^;??という方向へ進みかけても、こちらの意見を押し付けず、ましてやYouTube動画で他人が仕上げた音楽(その人ももしかしたら誰かの真似かもしれない)になびかないよう、生徒さんと一緒に楽譜の奥を見て、生徒さんと一緒に一から考え読み込む…という工程を踏んでいます。こんな当たり前のことわざわざ文字にすることでもないのですが、YouTube動画が溢れている現代、世の中にはこんな当たり前のことを忘れてしまっている方達もいるのです。

この生徒さんは夏以降2回の本番を踏んでいて、この日が3回目の本番。1度目の同予選ではとにかく感じたままエネルギッシュなメフィストに仕上げていました。2度目の某コンクールでは、1度目の反省点を生かし出来るだけオーバーリアクションを改善、百合子先生にも入ってもらって徹底的に体と音質の向上に努めました。と同時に、生徒さん自ら管弦楽版なども何度も聴き込んで世間の演奏に惑わされず本人なりのメフィストワルツを追求しました。そして3回目。ここまでも何度か「テンポを上げましょう」という講評も頂戴し、その度に穴が開くほど楽譜を見て、アドバイスしたり生徒さんと一緒に頭を捻ったり意見交換を重ねてきました。実はここまで2回の本番は、生徒さんの頑張りが実り、2回とも素晴らしい結果を頂戴しているのです。が……、生徒さん本人は、依然色々な箇所がしっくりときていない様子。それは私たちも同じで、常日頃、世間の爆速メフィストを聴いて「そんなに何でもかんでも"速い!”として片付けていいものなのか…?」と思っているからです。冒頭のAllegro vivace(quasi presto)からして、…この”クワジ”をどう解釈するか…。以降でてくる沢山のリストからの事細かな指示を読み込むと、もしかしたら、少しばかり世間の演奏とは違う様相になる部分もあるのかも…と。これは、深くまで学んでいるからこその、生徒さん自身の感覚でもあります。そして、「とても勇気のいることだけど、世間の音楽は一旦忘れて、自分の目で、自分の頭で読み込んだ音楽をやろう!」と言うことになったのです。そして本番…さあ!生徒さんはどんなメフィストを弾くでしょうか。

当日は、テンポ選びも本人の意志が感じられ、エネルギーも推進力もあり、かといって音割れもしていない。中間部の甘美なルバートも素敵でした。私は実に素晴らしいメフィストワルツだと思いました。ですが、もしかしたら、これは世間のメフィストからみたら悪魔の要素が少しだけ物足りないのかもしれない…。先生方はこのリストを一体どのように評価してくださるのだろう……。結論から言うと、結果は予選と同じくまたまた身に余る素晴らしい賞を頂戴し、次のステージへとコマを進めることができました。 特に、H先生はとてもとても高い評価をくださいました。講評用紙には、さすが楽譜を凝視なさっていただけあり、楽譜箇所まで事細かく記してくださっていたり、いちいち楽語を指し示してくださり、脱力やしなやかさ、テンポ選び・表現の解釈の美点。反対に、音量の指示の見落としまで、こちらがぜひご意見を伺ってみたいと思っていた箇所ほとんど全てをアドバイスくださいました。

この日私は、あらためてコンクールにエントリーする意義を実感しました。このような細かな講評を頂戴すると、何より生徒さん自身が色々な楽譜の謎が解けたり、また、世間に惑わされず勇気を持って作り上げた箇所が「あー、やっぱりコレでいいんだ!」と自信につながったり…。コンクールの審査とは、その時いっときの評価への嬉しさ、悔しさ、などで片づけられるものではなく、それ以後の生徒さん達の音楽の指針にも繋がる大切な大切な機会だと実感したのです。

高校生まで来ると、どの生徒さんも皆さん本当に真摯に深い学びをしてくださっています。が、そのような学びができるようになったのも、YouTubeの真似や先生のレプリカ音楽を来る日も来る日も練習するような学びでなく、一見遠回りのような面倒な工程を、投げ出さず地道に丁寧に積み上げ努力してきた結果です。少し横着な言い方をすると、小さな頃は、鍍金を塗るような作業をひたすら繰り返していたら簡単に賞を取らせてあげることができてしまいます。が、そこに果たしてどのくらいの意味があるのでしょうか。「コンクール結果に一喜一憂しないこと」。この言葉は、あらゆるお教室で耳にタコができるほど掲げられている言葉だと思いますが、学び方によっては正に一喜一憂、本当に苦しくなってしまいます。「作品を学ぶとはどういうことか」…正に、関わらせて頂いている若い人たちから学ばせていただくことばかりです。今一度、この事をぜひ多くの方々に考えてみていただきたいです。コンクールに向けての練習は大変かもしれませんが、何百年も受け継がれてきた”尊い価値ある音楽”に毎日触れているお子さんの心は間違いなく深く豊かな方向へと向かっていると信じています。大変=苦しいとなるような学びでなく、大変だけど充実している!という学びができることを願っています。

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