まだ長女が高校生だった頃、あるコンクール会場での出来事です。娘がドレスに着替えるため更衣室に行ったので、私もくっついていって一緒に入りました。中には、ドレス姿の低学年くらいの小さな女の子がいました。私と娘はニッコリ笑って「こんにちは」と言いながら、お部屋の一番奥まで進んで荷物を降ろしました。
と、次の瞬間、その女の子のお母さんらしき方が入っていらっしゃり、女の子に向かって捲し立て始めました。「も〜う!まーだ着替えてないの!!早くしなさい!!もう、早く着替えて!!………(しばらく無言)……だから毎日練習しなさいって、あんっなに言ったのに! やらない自分が悪い!!どうしてやらなかったの!!何で?!ねぇ、なんで??だから間違えたんだよ!!やらなかったから間違えたんだよねぇ!わかるでしょ!そんな事でいいと思ってるの?!!!ほんっっとに!!先生にも申し訳ないっ!」ものすごい剣幕です。鬼の形相で、他にも沢山の言葉を浴びせて、お母さんは再びお部屋から出ていかれました。
私は、鏡越しに恐る恐る女の子の表情を見ました。女の子は意外にも、涙一つ見せず、ただずっと立っています。私は居た堪れなくなって、何か声をかけようか、でも他所様のことだし、聞かなかったフリをしてあげようか…と思っていたら、鏡越しに スーーっと手が伸びるのが見えました。振り向くと、娘が黙って、持っていた飴を女の子に差し出していました。そして、何とも言えない表情でゆっくり2回頷いて、無言で飴を渡しました。女の子は少しだけニコッとして飴を受け取りました。
かれこれ10年以上も前のことです。女の子の、それまでの取り組みがどうだったかはわかりませんが、”ピアノコンクール”という存在が、どこをどうしたらあの様な状況を生んでしまうのか…。以降私は、サポートしていらっしゃるお母様方の為に何ができるのか、ずっと考えています。
本番舞台とはとてもとても繊細なものです。本人は気づきもしない潜在意識までもが左右してしまう、本当に紙一重の、神経が張り詰める場所なのです。小さな頃からの日頃の親御さんの何気ない一言が、言われた本人もまったく気づかないうちに、潜在意識となって、いつの間にか心の奥底に積もっていくのです。かといって、腫れ物に触るように接していては、本人をより神経質にさせ、緊張に対して弱い子にしてしまいますから、本番の日は、演奏の前も演奏後も、どんな状況であれ穏やかに、大きな心で見守ってあげるのが良いと思います。
取り組み方によっては、時に、師事している先生から厳しいお言葉を頂くことになってしまう時もありますよね。親御さんも言いたいことが沢山おありかと思いますが、そんな時、「それみなさい!」とばかりに更に追い打ちをかけるのではなく、その子が伸びていく為に”本当にかけてあげなくてはならない言葉”を探していただきたいと思います。つい口をついて出てしまう棘のある言葉も、全ては我が子を思っての事だと思いますが、本番直後の親御さんからの威嚇や、脅かしは、それ以降のその子のピアノ人生に大きな傷を残しかねません。一見、打たれ強いように見えているお子さんも、本人も気づかないうちに、負の錘が心の奥深くに少しずつ重なっていって、その子が大きく成長した時、自分の音楽がいつの間にかがんじがらめになっている事に気がつくのです。
ここまでの日記でも何度も書いたように、ピアノ練習は本当に根気のいることです。見守るご家族も、毎日毎日二人三脚で走り続けているうちに、きっと、お母様ご自身もいっぱいいっぱいになってしまわれるのですよね。私もそうでしたが、誰でも一度や二度は思い当たることがおありかと思います。疲れてしまったら、ぜひ立ち止まって深呼吸して、もう一度考えてみましょう。私たちはどうして音楽をやっているのでしょうか。どうしてピアノをやっているのでしょう。これがスポーツだったらまだしも、心の隅々までが全てそのまま映し出されてしまう”芸術”をやっているのですから、どんな言葉かけがお子さんを奮い立たせるのか、どんな表情がお子さんを安心させるのか…見守るご家族は、どうぞ大きな心で支えていただけたらと思います。
世の中のお子さんたちが、自分自身の人生を、強く逞しく、そして生き生きと豊かに生き抜いていける方法を、音楽を通して皆さんと一緒に考えていけたら…と思っています。皆さん大切な大切な我が子のためですもの、お母様方の叱咤激励は、どうか心からの言葉であって欲しいと思います。そして、ピアノサポートをなさってる親御さんご自身も、豊かな学びができるような日々を送っていただけますようにと、切に切に願います。
写真は”音のあとりえ”のレッスンで3歳くんが作ってくれたネックレス。子どもの心は純白、みんなここから始まったのですよね。
コメント