音読みについて⑤最終回

音読みは楽譜の中で定着させよう  音符は、数え読み(五線を下から順に数えて読む読み方)をしているうちは楽譜をスラスラ読むことは難しいので、パッと見て何の音か言えるようになる事はとても大切なことです。数えず一目で音符が言えるよう、どの先生方も様々な方法で定着させていく事を目指していらっしゃると思います。私の教室では、新しく覚えた音符を定着させるために、覚えた音域までの音ばかりが出てくる楽譜を一曲でも多く弾いて(徐々に経験する音域を増やしていく)楽譜の中で定着させていくことを目指しています。こうすることで経験する音符の総数が圧倒的に増えるので、読譜の持久力も増していくことは、前回までのブログでご紹介した通りです。

カードやワークは工夫してバランスよく使おう  勿論、お教室ではカードやワークも使っています。特にカードは、小さいお子さんにとってはわかりやすく導入にはもってこいです。手作りカードも色々と作っていますが、皆さん楽しいらしくもっともっと!とやりたがる方も多いです。ですが、それらに取り組む時は、生きた音楽を十分に取り入れたか必ずバランスを考えるようにしています。またワークについても、ピアノ演奏と違って答えが目に見えるので、自宅学習でどんどんやりたがる方もいらっしゃいます。ワークを宿題で持ち帰っていただく場合も、毎日毎日単音読みのプリントばかり黙々とやったり、タイムを測ったりというような使い方にならないよう、あくまでサポート的な目的に留め使っています。レッスンの中で単音を読む時は、メトロノームを使って目を先へ先へと進めることを促したり、隣でオーバーに指揮をしてあげて拍感や流れをいざなってあげたり、抑揚ある歌にのせてカードを読んだりと、西洋音楽の流れを感じる工夫もしています。音楽とは、音をぶつ切りで読んでそれらを繋ぎ合わせたら完成するようなものではなく、全てに意味がありドラマがあります。それがたった1音だけだとしても、感情は留まらず心は動き出すのです。このような感覚は、ワークやテキストを順番にただ進めても育つものではなく、小さな頃から、西洋音楽の正しいイントネーションで抑揚たっぷり歌ってあげたり、拍感豊かな指揮で導いてあげたり、イマジネーションを沸き起こさせるようなお話をしてあげたり……そのような、生きた音楽を体感してこそ育まれると思っています。

フラッシュカードについて思うこと  さて、すっかり長くなってしまった”音読み”についてのブログ。最後にフラッシュカードについてのお話しだけさせてください。フラッシュカード的学びは、単純に記憶力を鍛える目的で、映像として音を脳に焼き付ける事をするには向いているかもしれません。が、その先、豊かにピアノを弾いていく感覚そのものを育んでいくことを考えると、あまりそこをしつこくやりすぎてしまうと、心や脳の回路を芸術とは少し違う方向へと導いてしまうこともあり得るのでは…と思っています。フラッシュカードは、カードを速いスピードでめくることで、あえて子供達に考える余地を与えず理性のブロックを外します。理性のブロックが外れた脳は大量な知識を映像として刷り込むことができる…と考えられています。脳科学的には証明されていないそうですが、この方法で脳の記憶の領域がかなり広がったと言う方達も大勢いらっしゃるようです。ただし、この時の脳はとても受動的です。カードをやっている時は感情も考える事も止めているので、これに没頭しすぎると感情や主体性が育ちにくく、集中力に欠け落ち着きがなくなると警笛をならしていらっしゃる方達もいます。あくまでどちらも医学的には根拠がないとされているので、私がここでどうこう言える立場ではありませんが、どちらにしてもこのような繊細な教材は、それを使うことによって子供達の脳に何が起こり、子ども達の脳をどう導くのか、子供達のずっと先の可能性を見据え、それ相当の教育を受けてきた方が使える教材だと思っています。

ピアノを弾くために求められる思考  近い将来、楽譜の中の求められている音を導き出すためには、あらゆる角度から色々な事を見つめて、創意工夫を持ってじっくり時間をかけて音楽を練り上げることが大切になります。時には、幾通りもの答えを導き出す事を求められる場合もあり、お決まりの答えを一つだけ出して終わりというものではありません。その上、ピアノという楽器の構造上、最も難しいとされているレガートの感覚も、本来絶対に繋がることのない打鍵楽器の音と音の隙間をまるで歌うように繋げていく作業は、道具のテクニックは勿論、かなりの想像力をも要します。このように、どんな能力や感覚が大切かを考えた時、幼少の頃に指導者は何をどう与えるのか…。これは私が育児中、母としても常に考えていたことです。実際ある程度の年齢になってからお預かりする生徒さん達で、特に専門の道を志して門を叩かれる方達の多くが、いざ音楽の奥を学ぶ段になって、知らず知らずのうちにがんじがらめになっている自分の受動的思考に、悩み、もがき、振り出しに戻って本物の音楽を探る努力をされています。おそらく私たちも気づかないうちに、日本の教育全体がこの”受動的タイプの脳”を生み出しているのかもしれません。世の中が芸術の感覚を育てるメソッドよりも知育的なメソッドに流れている傾向にあるのもその理由の一つです。音楽の分野においては日本は特に遅れをとってしまっているので、尚更、自分たちの少々偏ってしまっている感覚に気づきにくいのでしょうか。知育音楽から芸術音楽へとなんとか流れを変えるべく、多くの素晴らしい音楽家の方々が動いていらっしゃいますが、その根本となる現場を預かる私達レスナーこそが、今の幼児期の音楽教育の現実に気付かねばならない時だと思います。

卒業生の皆さん!皆さんのお教室が、何かしらいつも芸術の心が動いて、様々な感情の体験の場となるよう、いつも陰ながら応援しています。卒業してもなお、いつでも門は開いていますよ。どんな些細な事でも、遠慮せず勇気を出して質問してほしいと思います。勿論、卒業生さんでなくとも、いつでもどなたにでも門は大きく開いています。私も日々勉強ですし、皆さんから教えていただく事も多い毎日です。皆で日本中を豊かな音楽で満たしていけたらいいですね!♫

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